疲れるなんてと、君は言う



   076:その日だけの未来しか見えないような日々に疲れてしまった

 喫煙室は常に煙っている。吐きだされる紫煙に排気が追いつかないのだ。元々潤沢とはいえない資金だし人数が増えた分歳出も増えている。喫煙室を設けたものの最新式の分煙とはいかない。ただ空き部屋を宛がっただけのような簡素なそれさえあつらえるのに手間が要ったのだ。非合法団体である上に反政府勢力であるから警備だけは怠らない。設備に出入りする際のチェックやら何やら最近はややこしくなりつつある。ライは嘆息して肩をすくめると咥えていただけの煙草を灰皿に押し潰した。そのまま喫煙室を出て手続きを踏んで騎士団設備を後にしていわゆるゲットーと呼ばれる世界へ出る。ここは租界と路地裏の境目のような場所で住人の所属もまちまちだ。ライはちょっと夜遊びをした学生の顔をして難なくアッシュフォードの寝床へ帰る。記憶を失くして倒れたライを助けた上に寝床まで用意してくれた女生徒には感謝しているが騎士団に入団した今となっては少し荷が勝っているように思う。
 租界は安全だ。掏りやかっぱらいに気をつけていればまず問題なく暮らしていけるだろう。住人の階層も高くある程度の収入が定期的に見込める階級のものが多い。ライが寝床にしているのは私立の学園でありクラブハウス内の空き部屋を一室、寝床としてあてがわれている。これが生徒会会長の女生徒の要望でありそれが簡単にまかり通ってしまうのが育ちの良さを窺わせる。蹴りだされる心配のない寝床と食いはぐれない食事。そんな温室がライには居心地悪くゲットーへ何度も繰り出した。そこでライはなくした記憶の懐かしさに出会い、なし崩し的に騎士団への入団が決まった。推薦してくれた少女を助けたことも決め手になったようであり、戦闘機に乗った記憶もないのに操縦は上級者の部類であり教える側に立っている。
 緑豊かな中央通りを通ってクラブハウスへ戻る。目と足を悪くしたルルーシュの妹がいるから帰宅が遅くなるなら静かにする約束になっている。同じクラブハウスに出入りすると言っても同室や隣近所ではない。だから気を使いすぎと言えばそうなのだが少々ルルーシュは妹に関しては過保護な面が否めない。そのルルーシュが入団した黒の騎士団を統べるゼロと言う仮面の男だと知らされた時には驚いたが彼の頭脳とゼロの作戦立案を噛み合わせれば納得は行く。ニホンに伝わるカドウとかいうものは花を花瓶に生ける具合を調整するらしい。ぷんと鼻についた両院の青臭さに茫洋とそんなことを思い出した。黒の騎士団は日本人であることを誇りに思う連中ばかりだから黙っていると日本の歴史やら何やらいろいろ情報や実戦経験が積める。ライはたどりついた部屋の鍵はかけずにそのまま寝台に倒れ込んだ。
「歴史なんて、僕にはない…」
この部屋を宛がってくれた女生徒も無闇な詮索はしてこないしルルーシュもゼロとしての立場とルルーシュと言う生徒としての立場とを別離させているからライの帰宅が何時になろうが何も言われない。
 制服を脱いで私服になると再度寝台に沈んだ。襟の刳れたシャツは透けるようなライの白い肌によく馴染んだ。ライは白皙の美貌だ。と言われる。当人としては美貌だと思ったことはないが周りはしきりにそう褒める。頭頂部では亜麻色や光の具合によっては白銀であったりする髪は毛先へ行くにつれ蜜色に透き通り、瞳は薄氷色から紺青へと色を変える。碧い瞳でありながらその度合いが感情につれて変化する。唇を撫でる。そもそもライが帰宅を決意したのは今はゼロとして振る舞っているだろうルルーシュが帰れと言ったからだ。こっそりと仮面を取ってキスをする。二人だけの秘め事は肌を合わせているかのように甘く密で息苦しい。噎せ返るようなそれに麻痺した脳髄は甘美な刺激を走らせる。ルルーシュこそ美貌である。大きいながらも引き締まった眦に長い睫毛と髪は濡れ羽色。双眸は理知的な紫苑に煌めき唇は化粧したように熟れて紅い。
 そもそもルルーシュはこの日本をエリア11にしたブリタニアの皇子である。いろいろ事情があるらしいがそうらしい。その彼が何故反ブリタニア勢力の頂点に立っているかは判らないが。だからこそライは疲れてしまう。明日さえ知れない団体に身を置くことが。いつ掃討作戦の餌食になって一網打尽にされるかも判らない。幹部連中は皆後ろ盾や退路のない者たちばかりだ。だからこそゲリラ的な活動が出来るのだろう。ライは眠りにつく前にいつも思う。

明日は生きているだろうか
明日は思い出せるだろうか

明日は――ルルーシュの顔を見れるだろうか

そして目覚めてなお、あァ死んでいないな、と体を確かめる。
 もぞ、と枕へ顔を押しつける。ふわふわのそこは心地よくライを包み眠りへといつも誘ってくれる。だが今日はそもう行かぬようだ。こもったようなノック。寝台から体を引き剥がしてドアを開けたライの目の前にいたのはルルーシュだ。
「今日はもう帰れって言ったのはそういう意味か」
ふぅ、と息を吐くライにルルーシュは傲岸にふんと鼻を鳴らした。親しみが増すたびにどこか傲岸不遜になっていく気がするな、とひとりごちる。ルルーシュが被る猫は完璧で誰もルルーシュの秘めた熱には気づかない。その分はけ口になっているライの被る被害は甚大だ。ルルーシュより体力はあるし戦闘術を覚えているから良いものの、学園と言わずクラブハウスと言わずナナリーやスザクの目がないと襲いかかってくる時期には呆れたものだ。彼女でも作れ、と言うとどこで誰が何とつながっているか判らん、お前が安全だとあっさり言ってのける。記憶もしがらみも持たない身軽なライは後腐れのない便利な男になり下がりつつある。
「ほら、早く入れろったら。ナナリーたちに気付かれたくはないだろう?」
ライは嘆息して道を譲った。ルルーシュは当然のように部屋へ入ると机を確かめている。端末を勝手に立ち上げてパスを打ちこみ、私用モードに切り替える。そこには戦闘機のデータや実働した際の留意点などの情報がある。
「なんだ、ラクシャータに提出していないのか? あいつがデータの入りが遅いと不機嫌だったのはこれか。さっさと出して満足させてやれ。女にはつくしてやるものだぞ、ライ」
「特定の彼女を持たない生徒会メンバーとは思えない発言だよ。なんだか調子が悪いんだ。今日は相手が出来そうにないから帰ってくれないか?」
「溜まってるんだよ。手伝ってやるからすっきりしろ」
仮面を剥いだルルーシュは案外粗野だ。生まれの好さを知っての上の暴挙であるからなお性質が悪い。
「トイレで流しているのか? 言ってくれればオレが相手をしてやるのに」
「ルルーシュ」
憤りさえ含ませた声に怯みもしない。
「ルル、だ。二人きりの時はそう呼べと言ってあるだろう」
ライは手をひらめかせて携帯電話をぱカリと開く。そこには発着信の履歴や送ったメールが識別できる。最新式とは言えないが十分にまだ機能するタイプだ。それを見たルルーシュが懐を検めるが遅い。すれ違った際にライが掏ったのだ。ルルーシュになくてライにあるのがこの育ちの悪さか。ライは何故だか路地裏に居心地の悪さを感じない程度には不良だ。真っ当ではない。掏りもできるし恐喝や暴力沙汰の諍いにも勝利する。体捌きは現役軍人であるスザクのお墨付きであるから喧嘩はまず負けない。だからこそ無防備に路地裏へ出入りしながら無事に帰ってこれる。ルルーシュの様に敵を避けて戻るのではなく退けて戻っている。いつしか挑戦してくる輩もいなくなった。
「まめだね、ルル。ナナリーには定期的に電話しているのか。まァあの子なら電話の方がコミュニケートしやすいか…」
「手くせが悪いな、ライ。返せ」
ライはあっさりと端末を閉じるとるルルーシュの方へ投げた。別に何か目的があったわけではない。強引なルルーシュにちょっと灸を据えるようなつもりでかすめ取っただけである。
 「さて、昨日から極めて荒れに荒れていた理由を聞いてやる。何分必要だ」
ライは壁に寄り掛かっていた背を放して寝台へ向かった。どさりと腰を下ろす。昨日は路地裏やゲットーの奥深い界隈でちょっとした遊びに耽っていた。暴力沙汰を起こしてはリフレインと言う名の麻薬をかすめ取り集めて港湾部から投げ捨てる。使う気にはならなかった。記憶が戻るかもしれないぜ? 入団したての頃、古参メンバーの台詞である。リフレインの取引現場を強襲するという任務だった。その際に押収したリフレインを前にした古参メンバーがライの記憶喪失をあてこすって言ったのだ。それを覚えていてぶん殴った相手の懐を探ってなにがしかをかすめ取って言った。それは情報であったり麻薬であったり金であったりした。戦闘中は愉しかったが終わった後の言いようのない虚しさにすぐ飽きた。誰かに通報でもされたか見られたか。ライはルルーシュのように顔を隠したりはしていない。
「なンか…疲れた」
「なんだと?」
「なんだか疲れたんだよ。黒の騎士団もこの学園生活もいつ終わるともしれない、明日をもしれない生活に倦んだんだ。鬱屈して発散したかった。体を動かしたかっただけだよ。思考が堂々巡りをするなら運動した方がいいって君が言った――」
甲高い音がしてライの頬にルルーシュの平手が命中した。手加減なしの一発はルルーシュが腐っても男性であると明確にする程度の被害はあった。口の中を小さな破片が踊る。予見していたが敢えて歯は食いしばらなかった。頬の裏の肉を食んでその歯が欠けている。べっと吐いた肉塊と真珠のように照る白い破片は欠けた奥歯だ。ライの口内が紅い。鮮血に満ちたそれは喉を潰されて吐血した様によく似ていた。口を開くたびに紅い唾が飛んで泡を吹く。舌が喉奥まで堕ち込み流血も飲んでいるから胸やけがする。ライは思った以上の被害に驚きながら咳き込んだ。収縮した筋肉の動きで舌が喉を塞ごうとしている。寝そべったらまず間違いなく喉を塞ぐ。ライは軋む体をなんとか起こしてごぼりと血を吐いて咳き込んだ。
 「疲れた? 疲れただと?」
咳き込んで唇さえ紅に染めるライをルルーシュが叱責する。
「貴様はいつからそんな甘えた身分になり下がった? 失くした記憶を戻したいのだろう。失くしたものを取り戻す目的がありながら疲れただと?」
ルルーシュの手が握りしめられてぎりィと音をたてた。ルルーシュがそこまで憤る理由がライには判らない。そもそもルルーシュにとってライは利用すべき相手なだけで情を交わしたとは思っていない。想わぬ反応にライの方が怯んだ。
「オレはそんな腑抜けを恋人にしようとしていたと言うのか」
「恋人?」
「オレはお前が好きだ。愛している。ナナリーとは、別にな」
ルルーシュはきっぱりと明瞭に言い放った。言い回しに比喩も隠語もない。明瞭で簡素な言葉である。それだけに事実である割合が高まった。ライが戸惑う。過去を全くなくした、しかも同性の男を恋人に持とうとしていただと?
「…ちょっと待ってくれ、ルル。僕はそんな話聞いていないよ、確かに僕は君と寝る。でもそれは君だけじゃないんだよ」
「知っている。お前を連れ込んだ際に横取りするなと仮面を奪われそうになったこともあるぞ。そいつには少し痛い目を見てもらったがな」
「それで、どうして」
「愛しているからに決まってるだろう? 愛情とは罪深く尊いものだな。お前の一挙一動に一喜一憂し、笑えば嬉しい泣けば哀しい。笑っていてほしいと思うことは愛じゃないのか?」
ライはがんと頭を殴られたような衝撃を感じた。ここまで無骨で露骨な恋愛感情をぶつけられた経験がない。路地裏で相手にする男たちは皆客であり、同じ客として抱く女どもと変わりなかった。その一員であったルルーシュがきっぱりと愛情の有無を告げた。
「結婚しろとは言わん。法律を変えねばならなくなるしな。ゼロと言う男が必要となくなるまでに男同士でも結婚できるように改変しておくか? 必要ならば手段はいくつか」
「待って、待ってくれ。問題はそこじゃない、そこじゃないだろう」
ライが頭を抱えた。この天然ボケは何を考えだしたんだと心中で罵りながらライは現状の打開を図った。
「結婚が一つの目安や区切りであるのは判るよ。でもそうじゃないだろ。そもそも僕の意志はどうなるんだ」
「なんだお前、オレが嫌いなのか。もしそうなら泣くぞ。大声あげて泣くぞ」
恐喝である。がっくりと膝をつくライをよそにルルーシュは立ちあげた端末の情報にあれこれと指示を出す。
「ルル、少し時間をくれないか。僕の方にももしそうするなら片づけなきゃならないことばかりだし」
黒の騎士団にいる時間を優先席に割いていると言っても拠点はこの学園なのだ。いつ誰に見とがめられないとも限らない。
「ふん、そんなものオレだって同じだ。適当にやり過ごす知能もないアホとは思えんが?」
「君と僕は違うんだ。君に出来ることだからと言って僕にも出来るわけじゃない」
ルルーシュがむぅ、と唸って黙る。端末の操作へ戻るがルルーシュは不服そうだ。ライは何とか呼吸を整えて舌の位置を戻した。もう喉を塞ぐ心配はなさそうだ。はぁッと大きく息をついて最後の血反吐を吐いてから口元を拭った。唇が化粧したように紅い。出血でライの皮膚は蒼白いくらいだ。若干の貧血を起こしているのだろう。そのくせ唇だけが紅くなるのは昔からそうだ。
 「色っぽい唇をしているな」
ふふんと笑ったルルーシュの目線が流れ着いてライはむやみに唇を拭った。
「擦ると余計紅くなるぞ」
ライは部屋に備えつけの洗面で顔を洗った。ざぶざぶと飛沫を上げるそれをルルーシュは咎めもしない。絨毯の血痕が妙に紅く雨垂れのように目につく。
「あとでシミ抜きでも頼んでおいてやる」
ルルーシュはライの方を見もしないのにライが考えていたことを言い当てる。僕ってそんなに考えが顔に出ちゃってるのかな、と悩んだが結論としてはルルーシュが敏すぎるだけなのである。リヴァルなど全く気付かぬ。
「そこまで判るのにどうして僕の迷いには気づいてくれないんだ」
「関係ないからだ。オレはオレの好きなように振る舞ってるだけだしお前の側の都合に合わせていては一生かけても事が進まんからだ」
冷静で怜悧な知能はいっそ残酷だ。ライはどさりと寝台に身を投げ出す。いつの間にか近寄っていたルルーシュがのしかかってくる。覆いかぶさりながらも線が細いからか、のしかかられているという自覚があまりない。危機感もない。ルルーシュに抱かれる女は幸せかもな、とライは茫洋とそんなことを思った。
「ルル、君は僕なんかに拘泥しているひまなんかないと思うけど。やるべきことは山積している。それに子孫を残せない。君の知能を後へ継げないよ、僕では」
ぐんと襟元を掴まれ胸倉を掴みあげられる。あァ殴られる、と思ったが拳も平手もない。ただ、ルルーシュの手が堪えるようにぶるぶると震えていた。
「…ライ。オレはな。オレはオレの血筋を後世に残そうとは思っていない。どうせ腹違いが山積しているんだ誰かしらからつながっていく筈だ。だからオレは好きにさせてもらう。だからオレはお前を愛することを躊躇しない」
あァ、強いな。ライは目を細めた。強い。眩しい。ルルーシュはいつだってそうだ。仮面で素顔を隠してもなお自身の求心力を知っている、そしてそれを使える。理知的で賢しげでそれでいて愛らしい。

「ごめん、ルル。ちょっと愚痴ってみたかっただけなんだ。僕は僕が誰かも判らない日々にちょっと嫌気がさしてしまったんだよ――」

まぶしいひかり。つよいいし。うつくしいかお。
だいすき。だーいすき。
だからね。

「でもルル、僕はいつか」

毀れてしまうよ――

その時にせめて君だけは何事もなく過ごせますようにと。
願うよ。


《了》

なんか終わってないっていうか始まってないwwww          2012年7月2日UP

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